yurippe_watanabe |
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| 弁当箱という名前で呼ばなかったにしても、出先に何らかの容器に食料を入れて持っていくことは、昔から行われていたものと思われます。 昔は、木の実とか、干した肉、干したご飯や魚肉など簡単な食料を持ち歩いたりしていました。 ただ、弁当箱という容器が誕生する前は、カシワ、ホウ、ササなどの殺菌力のある大きな木の葉で食料を包んでいました。弁当箱が使われるようになったのは、織田信長の時代からと言われています。 江戸時代は、お弁当の全盛期で、 杉や桧の薄い板を曲げて作った「曲げ物」、竹や柳の枝で編んで作った「行李」といった今でも民芸品として人気の弁当箱が広く使われるようになりました。 この頃の庶民のお弁当は、梅干しが入ったおにぎりが一般的。一方で、大名、金持ちの町人は、塗りの器に入れて「大名弁当」「花見弁当」芝居を見物する人は「幕の内弁当」を食べるようになりました。 明治、大正時代の弁当箱も、一般には江戸時代と似たようなものでしたが、昭和に入るとアルミ製のもの(アルマイト)が登場しました。子供たちの間ではモダンさを象徴するものとして、誰もがあこがれた時期があります。楕円形から底の深いドカ弁、かばんに入れやすいブックタイプと変わっていきました。 その後、プラスチックの弁当箱が登場し、今の主流になっています。軽くて丈夫で汁がこぼれにくい、さらには電子レンジで暖められるなど使い勝手が良く、色や模様、形も変化に富んでいます。 このように弁当箱の発達につれて、私たちが外出先でとる昼食も、TPOにあわせて美味しくとれるようにかわってきました。
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